転職してから3週間が経ちました。
あの初日から、もうそんなに時間が経ったのかと驚く一方で、日々の密度が濃くて、まだ3週間?とも感じています。
1週目を終えたときの私は、「スピードについていけるか」という戸惑いや、「私はこういう働き方が好きだったんだ」という気づきを綴っていました。

それから2週間が経ち、少しずつ業務にも慣れはじめた今、また違った感情が自分の中に芽生えています。
今日はそんな、転職3週目の「今」の気持ちを、素直に残しておこうと思います。
毎回訪れる“私の順応パターン”
転職を何度か経験してきたことで、自分の中に“お決まりのパターン”のようなものがあることに気づきました。
最初の1週目は、ただただがむしゃら。
新しい環境に飛び込んで、バラバラのピースを拾い集めているような感覚です。
全体像は見えないけれど、とにかく手を動かすしかない。
そして2週目。
この時期が、いつもいちばん苦しくなります。
最初に教わったことを、今度は一人で手順通りにこなさなければならなくて…。
しかも、その“手順の意味”がまだよくわからないから、不安だけが募っていく。
意味が見えないままの作業ほど、心がざわつくものはありません。
でも3週目に入ると、少しずつ変化が現れます。
「あ、こういう流れでこの作業が必要だったんだ」と、点と点がつながって線になる。
仕事同士のつながりが見えてきて、ようやく“ただの作業”から一歩抜け出す感じがするんです。
今、私はまさにその地点に立っています。
できること、できないこと
少しずつ仕事の流れが見えてきた今、ほんの少しだけ、気持ちに余裕も生まれました。
でも、その“余裕”が落とし穴になることも知っています。
分かった気になってミスをする。
覚えたつもりで聞き逃す。
過去の自分がそうだったことを、私は忘れていません。
だからこそ今は、「できること」と「まだできないこと」をちゃんと見極めながら、謙虚に、でも着実に進んでいきたいと思っています。
教える・教えられる関係の奥深さ
そしてもうひとつ、最近よく思うのが「教える側」についてのこと。
これまでの私は、どちらかといえば「教えてもらう」立場が圧倒的に多く、特に派遣社員として働いていた時期は、短期間で仕事を覚える必要がある分、常に“受け手”としての姿勢を求められてきました。
そのぶん、「どう教えられたらわかりやすいか」「どんな説明が助かるか」には、とても敏感になった気がします。
だからこそ、いま職場で誰かが新しいことを教えてくれるたびに、その教え方に「ありがたさ」と同時に「学び方の気づき」も感じるのです。
「ああ、今の伝え方、すごくわかりやすかったな」
「これは逆に、前の職場で困った言い方だったな」
そんなふうに、かつての自分の経験と重ねながら、日々“教える・教えられる”という関係性の奥深さを考えるようになりました。
そして感じるのは、「教える」側に「教えられる」経験が不足していると、説明が“分かって当たり前”という前提で進んでしまうということ。
自分たちが普通だと思っている言葉が、実は業界全体で通じるものではなく、その会社独自の「社内用語」だったりする。
そんな“ズレ”に気づけるのは、外から来た立場の人間だからこそ、なのかもしれません。
だから私は、いつか“教える立場”になったとき、今の“教えられている経験”を忘れずにいたいと思っています。
どこでつまずいたのか、どんなことに不安を感じたのか。
そうした記憶を手放さずにいることが、「伝わる人」や「わかりやすい人」になるための土台になると信じています。
さいごに
まだまだ完璧にはほど遠いし、わからないことも山積み。
でも今の私は、「それでいい」と思えるようになりました。
来週の私は、今よりもう少し仕事を楽しめていたらいいな。
そんなふうに思いながら、4週目を迎えようとしています。
ではみなさま、ごきげんよう!