淡路島2日目の旅日記を楽しみにしてくださっている方、ありがとうございます。
そろそろ語りたいところではありますが、その前に、どうしても記しておきたいことがあります。
今日は、私の「母」について綴らせてください。
母を探したときの出来事はこちらにまとめています↓


「母」という存在が、いまだに私の中で異物のまま
2017年9月4日。
私の記憶の中で、はじめて母と会った日です。
その後、記憶が曖昧なのですが、2018年頃に母の今の夫や、いとこと顔合わせをしたのが最後。
それ以来、母とは一度も会っていません。
あれからというもの、母という存在は、私の中で“異物”のように居座り続けています。
弟夫婦に最初の子どもが生まれたとき、母にメールを送ったら、「ありがとう」の一言だけが返ってきました。
私から「誕生日おめでとう」とメールを送った際には、既読のままスルー。
弟夫婦に2人目の子どもが生まれたときは、返信がスタンプ1つ。
羊がぺこっと頭を下げているだけのものでした。
どう考えても、愛されていないんだなと、思わずにはいられません。
私の娘が中学生になった頃、「お母さんのお母さんに会ってみたい」と言ってくれたことがありました。
その言葉を母に伝えたときの返信は、「娘は何歳?年頃だと難しいかな」だけ。
心の距離は、いっそう広がっているように感じています。
それでも、私は母に手を伸ばしたい
それでも私は、諦めたくありません。
何をかというと、「私が母に連絡を取ること」です。
母と父の間にどんな事情があったのか、私は詳しく知りませんし、正直なところ「知ったところで、どうなの?」という気持ちもあります。
ただ、これまでの母の反応を見る限り、私とは関わりたくないのだろう、と感じるのもまた事実です。
でも、だからといって、そのまま距離を置き続けることが、本当に正解なのか。
母と子の間にある溝は、このまま放っておけば、もっと深く、もっと埋めがたいものになってしまう。
私は、たとえ関係を完全に修復できなくても、「子である私から歩み寄った」という事実だけは、この世に残したいと思っているのです。
返事が怖くて、聞けない「元気?」
数日前のこと。
またしても、弟の子どもたちの話題に頼ってしまっていますが、「最近の様子だよ」と写真付きで母に送ってみたんです。
さて、どんな返信があったと思いますか?
……はい、今回も予想通り。
返ってきたのは、たったひとつのスタンプだけ。
やっぱりな。
わかってはいたけれど、それでもやっぱり、改めてがっかりしてしまいました。
とはいえ、私のメールの送り方にも原因があるのかもしれません。
「元気?」とか「最近どう?」といった問いかけをすればいいのに、どうしても避けてしまっている自分がいます。
というのも、これまでのやり取りから考えると、返ってきてもせいぜい「元気だよ!」だけなんじゃないか、そう思うと怖くて聞けないのです。
私の中では、「元気だよ。〇〇は元気かな?」
そんなふうに一言でも返してもらえたら、それが“正解”の返信なのに。
「母への言葉」をルーティンにするという決意
ここまできたら、私の得意な「ルーティン化」で心の負担を少しでも軽くできないか、そんなことを本気で考えています。
(冗談じゃなく、けっこう本気です)
ルーティン化のお話はこちら↓

たとえば、
毎年、母の誕生日に「お誕生日おめでとう」と送る。
あるいは、母の日に「私を生んでくれてありがとう」とメッセージを送る。
それを“年中行事”としてしまえば、少しは気持ちの整理がつくのかもしれません。
母にとっては、きっと最高にうっとうしい連絡でしょう。
でも、それも「母の宿命」ということで。
年に一度か二度、愛情を注げなかった娘から、愛情に見せかけた、いや、もしかすると少しだけ本物の、そんな複雑な思いを、受け取ってもらいましょうか。
さいごに
母に対して、今の私が抱いている感情は、愛情だけでもなく、憎しみだけでもない。
たぶん、その両方が入り混じって、もっと言葉にしづらい何かになっているんだと思います。
それでも、関係を断ち切ることができないのは、私がまだ「母にとっての娘」でいたいからなのかもしれません。
歩み寄ろうとしても拒まれ、心を開こうとしても閉ざされる。
それでも、こちらから手を差し出すことは、私にとって“自分を裏切らない”ための行為でもあります。
母との距離が、これからどうなっていくのかはわかりません。
でも、私はこれからも、年に一度、二度。
自分のペースで、自分なりのやり方で、母に言葉を送り続けてみようと思います。
今日はちょっと重たい内容でしたが、私の心はとっても元気です!
次こそは淡路島2日目です!
ではごきげんよう!
過去のつぶやきもさかのぼって読ませて頂きました。
あの写真はほんとうの父上様と弟様???
わたしも、小学生の時に両親が不仲になり、父が家を出ました。
それから、父がわりの人ができて暮らしてきました。
わたしにとって、父がわりの人は、どうしても父にはなれませんでした。
ふたりでひとつの部屋にいることが、どうしても自然になれない。
妹たちは普通に暮らしているけれど、妹よりも5~7歳上のわたしはもう思春期でしたから、嫌いではないしいい人だけれど父親という感覚にはなれなかったのかな。
どこかで気を使ってしまう。
長女のわたしは、母親とのつながりが強くて、父の愚痴を聞かされていたので、父は悪い人だと思うようになり…
でも、わたしも結婚し母になり、父との思い出がよみがえり…
子供をとても愛してくれた人だな~と改めて感じました。
子供に手を上げたことはない父。
おもしろくていつも笑わせてくれた父。
大好きだったな~と思い出しました。
それから、母と自分との関係に疑問をもち…
わたしはいい娘を演じている、実家に帰っても疲れる、と気づき…
やさしさ探しの修行をして、自分の根底にある気持ちを初めてみつけることになります。
ブログを開設したのがもう6年前ですが、当時は母や妹との確執に悩んでいるつぶやきでした。
それからたくさんの本を読んで、自分の気持ちををみつめ、母や妹の気持ちを想像し、色々と整理することができました。
今は実家に行くことが負担でもないし、妹ともいい関係になってきました。
父が生きている間に会いたいな。
会って「ありがとう」と言いたいな。
今はその日がいつになるのか、自然に任せているところです。
よかったら、カテゴリ「挫折・家族の因果・毒親」を読んでください(*^-^*)
少しずつ回復していくさまが分かると思います。
応援★
ハピハピハートさん、こんにちは!
まずはお写真の件ですが…「父親の紹介」のところの写真のことでしょうか?
あれは実はフリー画像なんです(笑)紛らわしくてすみません!
そして、ブログを読ませていただきました。
ご家族との関係について綴られていたこと、とても丁寧に伝わってきました。
私の場合は、物心つく頃にはすでに母がいない環境だったので、「母との思い出」そのものがほとんどないんです。
そういった意味で、ハピハピハートさんのようなご経験とはまた違う形かもしれません。
でもその分、何かを思い出して傷つくこともなく、ある意味ではそれが自分にとっての「救い」だったのかも、とも思いました。
お父様に会える日が、どうか良いタイミングで訪れますように。
心から願っています。